
今回は、映画「羅生門」(黒澤明監督)の海外レビューを翻訳しました。
「羅生門」は黒澤映画の中でもかなり異色の作品です。侍が殺害されるという事件が発生し、事件に関係した四人がそれぞれ証言します。物語は四人の証言内容を映像で再現するという形で進行していくのですが、その四人の証言が見事に食い違っており、真相がどうだったのかは最後まで分からない…、という作品です。
1950年の公開当時、日本ではかなり不人気であったものの、海外では大絶賛され、ヴェネツィア映画祭ではグランプリにあたる金獅子賞を受賞、第24回アカデミー賞では名誉賞(現在の外国語映画賞)を受賞するなど極めて高い評価を受けました。また、「ひとつの出来事において、人々がそれぞれに見解を主張すると矛盾してしまう現象」のことを指す"Rashomon effect"(羅生門効果)なる言葉まで生まれました。スティーブ・ジョブズが自著の中で使ったことにより、有名になったそうですね。国内より海外で評価が高いという黒澤明監督作品の傾向を、ある意味で象徴する作品でもあったわけです。
この記事では映画批評サイト「IMDb」から海外の映画ファンが投稿した「羅生門」のレビューを3本抜粋して翻訳しております。IMDbにおける「羅生門」の評価平均は10点満点中8.2点(投票数143,343件:2020-04-10現在)です。なお、ネタバレが含まれていますので、作品未見の方は、どうぞご注意を。
「羅生門」のどういった要素が海外で高く評価されたのか、どうかレビューを読んで、ご自身の目でお確かめください。
↓では、レビュー翻訳をどうぞ。
● 「ほとんどの場合、我々は自分自身にすら正直ではない」 評価:★★★★★★★★☆☆
私が「羅生門」を所有している理由は、これがアカデミー外国語映画賞を受賞した作品だからでもあるのだが、人間と真実について、全く新しい視点で語っている力強い作品だからでもある。
時おり、強力なメッセージを持つのに世間からは注目されない作品がある。映画愛好家たちのグループからは宝物のように扱われるのだが、オスカーを受賞することはない作品だ。一方、海外映画の中には人気があってオスカーにノミネートされるところまでいく作品もあるのだが、それらは必ずしも良い映画だからではない。スタジオに資金力があるおかげで上映できる映画館の数が多く、結果的に人気を獲得したからであるというケースがほとんどだ。そんな中で、「羅生門」は高い品質と高い評価の両方を実現した稀な作品の一つだ。 「羅生門」は、その中身においても稀な要素がある。日本の映画監督である黒澤明は、この作品の中で、大胆なことをいくつも試みているのだ。フレームの中に太陽を入れたり、森の奥深くで撮影したり、「真実」を冷笑してみせたり…。今日のハリウッド映画でも、こうした要素を「拝借」した作品はよく見かける。
大胆さが発揮されるのはストーリーの語り方も同じで、カメラワークは独創的、登場人物たちはパワフルで、誰のフィルムライブラリーにもあってしかるべきと思える、実にユニークな作品だ。俳優たちの演技は力強く、演出も完璧、物語には心を掴まれる一方で、「羅生門」には映画愛好家の間で議論されて当然とも言える重要なテーマが描かれている。
これは殺人と裏切りの物語なのだが、典型的な「法廷もの」の映画であれば、それまで弱気だった証人が終盤になって事実を語りだすというのがお決まりのパターンだ。最後の最後で真実が明らかになるというわけなのだが、「羅生門」ではそうならない。作品を鑑賞する我々が本当に知りたいことを、黒澤はあえて見せないのだ。
私がこの映画を観始めた段階では、人間の正直さと心の葛藤を描いた明快な作品だろうと予想していたのだが、結末を迎えても、ご褒美らしきものが手渡されることはなかった。期待していたハッピーエンドの代わりに待ち構えていたのは、映画に仕掛けられた罠だった。黒澤は、ストーリーの裏に「真実」を知ることなど不可能に近いというメッセージを込めていたのだ。映画の中で4人の登場人物が同じ出来事を見たにもかかわらず、その出来事について、4人とも全く異なる証言をした。つまり、本当の意味での「真実」というものが明らかになることは無いのかもしれないということだ。 あるいは、こういうことも考えられる。黒澤は物語と登場人物を使い、「真実など存在しない」と観客に信じ込ませたが、実際には「羅生門」の中に本当の真実も描かれていたのかもしれない。まるで「ユージュアル・サスペクツ」のカイザー・ソゼのようだ。ソゼは最後に姿を現したが、「羅生門」の真実は分からないままだ。そうやって、観客に色々と考えさせることも黒澤の意図だったのだろう。 一度観ただけでこの作品に背を向けるのも結構だが、何度も鑑賞すれば、登場人物ごとのストーリーで新たな事実を発見することもできる。また、年齢を重ねるほどに魅力の増す映画でもある。テーマ設定の仕方も素晴らしいが、それ以外の点に目を向けても、「羅生門」は欠点の見当たらない映画だ。演技の出来栄えから演出のシンプルさに至るまで、観る者の心を惹きつける要素が山のようにある。 まずは映画の歴史の中でも特等クラスにランキングされるであろう、三船敏郎の演技だ。彼は作品ごとにまったく違った演技を見せてくれる。そして毎回、その役柄に忠実だ。時には正気と思えないような姿を見せてくれるし、情熱的にもなるし、揺るぎない忠誠心を見せてくれたかと思えば、悪党にもなってくれる。過剰演技、もしくは奇抜な演技だと感じる人もいるかもしれないが、私個人には正確無比な演技に映る。さらに、その場の状況に応じた演技が実に的確だ。三船が一旦スクリーンに登場すれば、観客の目は三船を追いかける以外の選択肢を無くしてしまう。もはや、彼の演技に支配されているようなものだ。 三船に次いで素晴らしい演技を見せてくれたのは、襲われた武士の妻だ。作品中で最も複雑な役柄のはずだが、彼女は難なく役柄をコントロールしてみせる。観客が物語の変化を理解できるのは、彼女の演技の変化による部分が大きい。そして、この妻の抑制がきかなくなったとき、この作品の真のドラマが我々に突きつけられることになる。見事な演技力だった。 全体としても完璧に近い作品だと思う。黒澤は熱情を込め、巧みにこの独創的な物語を作り上げた。「乱」でも感じたような強い熱情だ。私が唯一気になるのは、この映画は真剣に集中して鑑賞しなければ、重要なテーマを見落としかねないということだ。私自身は三度観た。最初はうわべの要素に気が散ってしまい、隠されたテーマに気づかなかったからだ。私が特に楽しめたのは、終盤でほのめかされる人間内部の闇だ。恐ろしい殺人の話を聞かされた登場人物が、結局は自分も似たようなことをしてしまう…。
力強さを感じる物語だった。誰もが楽しむべきだと思う!

● 「真実と魂の探求」 評価:★★★★★★★★★★
「羅生門」は、黒澤のキャリアの中で初めての傑作と呼べる作品だったと思う。
最初にこの作品を観たのは、だいたい4~5年ほど前のことだ。今と比べれば、当時は私の映画の鑑賞眼もたいしたものではなかったし、映画内の表現に関しても反応が鈍かった。それでも、同じ事件が人によって全く違った事件として語られるというコンセプトには印象付けられたものだ。ただ、その当時は、この作品を傑作にしている別の要素には気づいていなかった。先ほど二度目の鑑賞を終えたところなのだが、この作品にはもっと重層的なテーマがあり、隠された意味があることにも気付かされた。 物語は、羅生門の下で雨宿りをする木こりと僧侶の二人のカットから始まる。そこへ別の男が現れた。彼は押し黙ったままの二人を怪しむ。木こりと僧侶は、自分たちがなぜこれほど沈んだ気持ちになっているのかを話し出した。ここからメインの物語の始まりだ。ある殺人が発生した。そして、その事件に関わる三人が尋問を受ける。だが、その三人は事件に関してまったく異なる証言をするのだ。 興味深いことに、観客の我々からは尋問者の姿は見えない。登場人物たちは直接観客に向けて証言しているように見える。まるで演劇における見えない壁、第四の壁が存在しているかのように。どの証言も証言者の印象を望ましいものにはするが、中立的な立場から見れば、証言者たちの道徳心に疑問符をつけたくなるようなものばかりという状況の中、物語は進行していく…。 この作品を極めて印象的なものにしている大きな要素の一つは、撮影術の素晴らしさだ。森の中を歩いている登場人物を映すときにも、実に静かに被写体を追っている。最上級のさりげなさで、とても多くのことを伝えるのに成功しているシーンだ。他にも、三船の顔に映った優しく揺れる木の葉の影のカットなども同様の効果を出している。逆に半壊した羅生門と降り注ぐ豪雨を映すことで容赦ない自然の脅威を表現しているのも印象深い。また、生い茂る樹々の間からなかなか顔を出さない太陽を映すことで、登場人物の口から真実が語られないことを象徴させたり…と、他にも色々とあるが、様々なことを撮影術で表現しているのだ。
そして、この作品はもう少し視点を変えてみると、重要なことに気付かされる。「羅生門」の公開は1950年、つまり悲惨な第二次世界大戦の終結から数年後に公開された作品なのだ。あの大戦の破滅的な結果を迎えた後、日本の社会は悲劇と絶望の底にあったはずだ。羅生門は、可能な限り最も人間的な方法を用いて、その絶望を表現している。人間が犯し得る恐ろしい犯罪行為や不道徳的な行為を目の当たりにしたあとに、それでも希望を持ち人間を信頼し続けるべきか否かを問いかけている作品なのだ。 僧侶と木こりは、殺人の後に行われた尋問の内容を聞き、もはや人間を信じるべきではないのか、真剣に悩んだ。しかし、そんな絶望の中、黒澤は日本の人々に対してだけでなく、世界の人々に希望と人間を信じる理由となるシーンを最後の最後に見せてくれた。
「羅生門」は人間の本質をとらえようと試みる作品であり、映画の歴史の中でも卓越した作品だ。芸術としての映画に興味のある全ての人が鑑賞するべき作品である。

● 「一流の作品だ!」 評価:★★★★★★★★★★
なぜ黒澤明が世界の映画界で最も素晴らしい監督の一人とみなされているか、それを知りたければ、この「羅生門」は観ておく必要がある。一般の多くの観客にとってこの「羅生門」は、未解決の犯罪を扱っていて、興味深くはあるものの変わった作品、ということになるだろう。真実はなんだったのかと知恵を絞ってみたくなるかもしれない。だが、映画マニアにとっては、決してそれだけで終わるものではない。素晴らしいアート作品でもあり、複雑な物語を通して美しくかつシンプルなメッセージを届けてくれる作品でもあるのだ。
映画を鑑賞してすぐに気づくのは、「絶対的な真実などこの世には存在しない」というテーマが表現されているということだろう。同じ事件を見た4人の登場人物それぞれが、その事件について全く異なる証言をするのだ。それぞれの視点によって現実がいかに歪曲されるかが、ここでは描かれている。もしくは、もう少し深い意味で、「客観的な現実などはそもそも存在せず、真実とはあくまで主観的、相対的なものである。」と言った方がいいかもしれない。 ここで思い出されるのは、盲目の男たちと象の物語だ。6人の盲人がそれぞれ象の体を触るのだが、皆が別々の場所を触っている。そしてその感触をもとにそれぞれが想像し、解釈した象の全体の姿はまるで異なるものとなり、互いに議論になるという話だった。ただし、恐らくこの作品が表現しているのはこれだけではないはずだ。 そもそも、同じ事件を見たはずの4人の話がこれほどまでに食い違っているのはなぜか、その背景について考えてみたい。まず、彼らは自分の身を守るために嘘をついているわけではない。盗賊と武士の妻は、自らが武士を殺した、あるいは殺したかもしれないと言っているのだ。明らかに、刑罰から身を守る意図があっての嘘ではない。 盗賊の話から感じられるのは自己賛美だ。彼は自分が勇敢な強い戦士であり、気軽な気持ちで武士の妻を誘惑したに過ぎないと語っている。武士の妻は自身を気の毒な犠牲者に過ぎないと主張し、自らの尊厳を保とうとしている。霊媒を通して語られた武士の話は、自分には品位があり勇気もある、そしてあの状況で最善の選択肢は自らの命を断つことだった、というものだ。木こりの話では、残りの三人ともが非難に値することになっている。木こりは事件の当事者ではなく、中立的な立場でもあることから、我々は彼の話を信じてしまいそうになる。しかし、彼もあとになって自分が嘘をついていることを認めた。現場から消えた高価な短刀を盗んだのは彼だったのだ。したがって、結局は彼の話も信用できないということになってしまう。 どの登場人物の話にも共通しているのは、誰もが自分自身を美化しているということだ。刑罰を免れるためでも損得のためでもなく、自らの自我を守ろうとしている。自分はこうあるべきだと信じている自我を守るための話を作り上げているのだ。自分自身に嘘をつき、自分が実像より良い人間でいられる世界を自分の中で作り上げなければ、人間は生きていくことができない。「羅生門」が描くのは、人間が内部に抱えるこうした不安定さだ。 だからこそ、本当の意味で自分に正直な人間など存在しない、これが「羅生門」に込められたもう一つのシンプルなメッセージなのだと思う。このメッセージ以外にも、物語の展開の仕方、登場人物の設定のされかた、演技、女性の官能性など、全ての要素がこの作品を傑作にするうえで重要な役割を果たしてくれている。 例えば、序盤で木こりが森の中を歩くシーンがある。映画を観る我々も、まるで彼と一緒に森の中を歩いているような気分になってしまう。だからこそ、木こりが死体を発見して立ち尽くしてしまった時には、我々も画面の前で固まってしまうのだ。一見、取るに足りないようなシーンであっても、実に美しくかつ知的だ。こんなことができるからこそ、彼は最高の映画監督の一人なのだろう。 普段なら、盛り上がりに欠ける映画や事件が解決せずに結末を迎える映画などにはフラストレーションを感じてしまう私だが、「羅生門」にだけは、すっかり魅了されてしまったことを認めざるを得ない。
(翻訳終わり)
なお、次回の更新は 6月11日(木曜日)です。よかったら、また見に来て下さいね。
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