
今回は、「千と千尋の神隠し」の海外レビューを翻訳して、皆様にお届けします。
宮﨑監督作品としては新しいイメージのある本作ですが、公開は2001年ですから、もう17年も経っているんですね。ただし、「千と千尋の神隠し」が樹立した308億円という興行収入記録はまだ破られていません。日本で一番多くの人に鑑賞された映画ということですね。 海外でもベルリン国際映画祭の金熊賞、アカデミー長編アニメ賞を始め、数々の映画賞を受賞した本作品ですが、海外の映画ファンからの評価も非常に高く、米アマゾンでは5つ星中4.8つ星、IMDbでは10点満点中8.6点となっています。 前回の「カリオストロの城」の海外レビュー翻訳記事と同様、この「千と千尋」も当ブログで6年前に米アマゾンレビューの翻訳記事をすでに一度アップしました。二度目になる本記事ではIMDbのレビューを翻訳しております。なお、本記事の後半には6年前のレビュー翻訳も再録しておりますので、よかったらそちらもご覧下さいね。 ※ 以下、ネタバレを含んでいますので、作品未見の方はご注意下さい。
↓では、レビュー翻訳をどうぞ。
● 「ただ観に行くべき」 アメリカ 評価:★★★★★★★★★★★
アメリカにおいて、日本のアニメーション人気が非常に高いのはなぜだろう?その理由の一つは、物語を作る根本的なルールが我々のアニメーションとまるで異なるものだからではないだろうか。日本のアニメーションには、我々が想像すらできなかったものが登場するのだ。例えば、体を超えるサイズの巨大な頭を持つ魔女が登場したりする。そして彼女は悪霊や精霊のための温泉を経営していたりもする。
ただ、あまりに突拍子もない為でもあるのか、宮﨑駿の「千と千尋の神隠し」に関して何かを書こうとしても、まるでほとんど思い出せない夢について書こうとしている時のような気分になってしまう。核となるいくつかの場面はハッキリ記憶している。それらは忘れがたいものだった。観た時の気持ちも生々しく覚えている。感動もした。だが、それらの場面がどんな繋がりを持っているのかを誰かに言葉で説明しようとすると、途端に迷宮に入り込んでしまう。まるで解釈を拒否されているかのようだ。 こんなことを感じさせられる作品に出会うことは、めったにない。この作品を作った宮﨑はアニメーションにおける最高の監督で、彼の創作したキャラクターには深みがある。彼は自分自身で絵を描く。そして、彼の作るストーリーは人間の根源を語っている。だが、そうであるがゆえに安易な解釈は許してもらえないのだろう。 どうか、ご自身の目でこの映画を観て頂きたい。これは壮大なビジュアルのご馳走でもある。何もできそうもなかった少女が大きなことを成し遂げる、分かりやすくて素晴らしいストーリーも含まれている。そして、出来ることなら、私の迷い込んだ迷宮から見事に抜け出して欲しい。主人公の千尋が不思議な世界から自力で脱出したみせたように。私も、もう一度挑戦してみるつもりだ。
● 「桁外れの傑作だ!」 アメリカ 男性 評価:★★★★★★★★★★
私は地下鉄に飛び乗り、州境を越え、45分かけてこの映画を観に行った。私がこの映画を観ようとした場合、最も近くで上映している映画館を選んでも、このくらいの時間はかかってしまう。ただし、このちょっとした遠出は忘れられないものになるはずだ。今後、ここへ来るたびに、私は「千と千尋の神隠し」という素晴らしい傑作のことを思い出すだろうから。
この作品は北米公開前の段階ですでに2億ドル以上の興行収入を挙げ、数々のメジャーな映画賞も獲得している。個人的に、レビューに映画の情報を全く書かないことは間違いだと思っているので、基本的なストーリーを記しておきたい。「千と千尋の神隠し」は、精霊たちの住む不思議な世界に迷い込んだ10歳の少女の物語だ。一緒にいた彼女の両親は呪いをかけられ、囚われの身になってしまった。両親の運命は、10歳の少女が自らの内なる強さに気づくかどうかにかかっている…。
アニメーションは信じられないほど素晴らしい。絵を描く技量は達人クラスだ。背景はそれだけでもアートとして通用するものであり、静かで何の言葉も発せられないシーンにも、多くの意味が込められているのを感じた。ただ、私はこの傑作をスクリーンで観たにもかかわらず、観終えた後の気持ちを言葉で表現するのは実に難しい。 私にとって、この映画で最も印象に残り、同時にこの映画を象徴するシーンだと感じたのは、主人公の少女である千尋が電車に乗るシーンだ。同行した精霊たちは見た目も中身も実にユニークではあったが、基本的には、ただ千尋がA地点からB地点に移動するだけのシーンに過ぎない。そしてストーリー上、特に重要な事が起こるというわけではない。物語が大きく前進するわけでもない。ただ、眺めるだけのシーンのはずだ。だが、私はこのシーンで泣いてしまった。悲しいことが描かれているわけではないし、キャラクターが悲劇に巻き込まれるわけでもない。あまりに美しいシーンであるために、強く心を揺さぶられてしまったからなのだろうか。分からない。
この映画には、こんなふうに感じられる場面が他にいくつもあった。ただし、分からないから魅力がないということではなく、分からないがゆえの魅力がある作品なのだ。無理に解釈しようとせず、豊かなイマジネーションで作り出されたキャラクター達、そして主人公の勇気と成長に注目してシンプルに楽しむのが正解なのかもしれない。そうした鑑賞にも十分に応えられる作品だ。
ユーモアもあり、チャーミングでもある。ただし、前作の「もののけ姫」とはまるで別物と考えたほうが良い。「千と千尋」の方がより普遍性があり、全ての年齢向けであり、事前の予想を大きく超えるほど想像力に富んでいる。「もののけ姫」の方も政治的で好奇心をそそる作品ではあるが、独創的なのは「千と千尋」の方だ。そして、たとえ7歳の子供でも共感できる要素が含まれている。 この映画は北米で公開されたばかりだ。今のところ、かなり限定的な公開にとどまっている。私は日本アニメの大ファンというわけではなく、数本の良作を知っているだけにすぎないので、この作品の日本アニメにおける位置づけも分からなければ、北米における反応が、今後、どうなっていくかも分からない。ただ、映画を観終えた後に出会った男性、彼はかなりの量のアニメ映画を観てきたそうだが、彼によると「千と千尋」は、過去最高のアニメ映画だそうだ。 もしかすると、北米でもかなりの大ヒットになる可能性はあるだろう。アニメを単に暴力的で過剰に性的なものとみなしている層にもアピールするかもしれない。アニメに対する偏見を破壊するだけでなく、映画史に残る存在にもなり得ると思う。もし、この「千と千尋」ですら受け入れられないのであれば、アニメはこの国では根付かないものということになるだろう。 私としては、この映画が熱狂的に受け入れられたとしても、不思議に思うことは全くない。私が観に行った時、周りは子供から大人まで幅広い年齢層の観客だったが、映画が終わった時は誰もが盛大な拍手を送っていた。今年観た映画の中で、これほど強い反応があったのは、他には「モンスーン・ウェディング」ぐらいだ。「千と千尋」は単に「素晴らしいアニメ映画」と括られるだけの存在ではない。素晴らしい日本映画と呼ばれるべきでもない。過去すべての映画の中で最も偉大な作品の一つなのだ。

● 「独創的な傑作」 評価:★★★★★★★★★★
私は十年に一度か二度、深く考えされられ、頭から離れないほど強い影響を受ける映画に出会う。その魅力はストーリーだけから生まれるものではない。映像だけでもないし、音楽だけでもない。稀なことではあるが、それら全てが完璧に組み合わさったものに出会うことがあるのだ。その時の思いを言葉で表現することはできない。ただ心の深い部分で感じるものなのだ。言葉に置き換えた瞬間に、それは嘘になってしまう。
この映画を他の映画と比べることにも意味は見出せそうにないので、それもするつもりはない。また、映画で表現されていたこと全ての意味が分からなくてもかまわない。もし他の人にとって良くないことが表現されていたのだとしても、私としては十分に楽しめた。私にとっては、「どう感じたか」が全てだ。もちろん、他の人はそれぞれの視点で鑑賞してもらえればよい。 この映画が成功したのは、人々がハリウッドの作品に飽き始めた兆しなのではないかと思う。この「千と千尋」のような映画がさらに増えて欲しいものだ。 最後に、作曲家であり、この作品で素晴らしい仕事をした久石譲のことに触れておきたい。彼の作った音楽は、決して支配的になりすぎることはないが、それでいて、映画の核となるものを完全に捉えていた。音楽を流さない箇所の選び方も含めて完璧だったと思う。
● 「暴力に頼らない解決」 評価:★★★★★★★★★★
「千と千尋の神隠し」は、多くの素晴らしいアニメーション映画を作り続けてきた宮﨑駿監督の最新作です。宮崎監督は日本のアニメーション史上、最も名高い監督ですが、彼が世界最高と言う人もたくさんいます。この映画は、人間が足を踏み入れることを許されない魔法の世界に迷い込んだ、千尋という少女の物語です。
最初にひと目見ただけで、彼女は甘やかされていて、自分の事も何一つできない少女であることが伝わってきます。でも、冒険が進むにつれて、彼女自身が思ってもみなかった形で成長を遂げていきます。「千と千尋の神隠し」は自己発見の旅であり、自立の物語なのです。「不思議の国のアリス」と比較されることも多いですが、アリスの方が冒険に次ぐ冒険であるのに対して、「千と千尋」の方は、もう少しバランスのとれた物語ですね。
彼女は、右も左も分からない日本の神話の世界に放り込まれてしまった「本当にいそうな少女」です。そこで彼女は、自分の問題から逃げ出さず、問題を解決する方法を自分で見つけ出します。 彼女はどんな方法で問題を解決したのでしょう?実は、これがこの映画で最高の部分です。そして、私がこの映画を「もののけ姫」より好きなのも、彼女の解決法が素晴らしいからです。彼女は力を使いません。優しさと勇気と礼儀正しさを武器にして自分の問題を解決するのです。異世界と戦って克服するのではなく、異世界に適応する術を身につけていくのです。彼女は剣や魔法の代わりに自分の知性と機転を信じます。 ここには子どもたちが学ぶべきものがあるように感じます。私に子供ができたら、ぜひこの映画を観せたいと思いました。多くの映画では暴力による問題解決が普通のこととみなされていますので、それを埋め合わせる意味でもね。 ただ、誤解してもらいたくないのですが、この映画は子供だけのものではなく、大人を感動させるものでもあります。一本の映画にここまで詰め込めるものなんだろうかと思えるほどの、イマジネーションの宝庫です。「もののけ姫」ほど劇的な物語ではないかもしれませんが、「千と千尋の神隠し」も実に豪華なアニメーションです。吹き替えもよく出来ており、千尋が不思議な世界に入りこんだ後で、違和感を覚えるようなことはありませんでした。 三箇所ほど音楽が少し場違いに感じたものがあって、少々気が散りましたが、不満はその程度です。この映画が日本で最大のヒットになったというのも頷けます。美しいビジュアルに彩られた素晴らしい物語でした。時を越えて受け継がれる作品になることでしょう。

● 「アニメーションにおける最高の到達点」 評価:★★★★★★★★★★
私が宮﨑監督の作品を観たのは「千と千尋の神隠し」が初めてだ。しかし、これを観ただけで、彼がストーリーテラーとして達人であることが分かる。良いストーリーテラーの条件は、観客を共感させられること、特に主人公の立場をまるで我が事のように感じさせられることだと思っている。
宮﨑は、それを実に見事にやってのけた。最初の15分間、観客は物語がどこへ向かっていくのかまるで分からない。主人公の千尋にとっても、それは同じだ。我々は千尋の目を通じて、彼女が迷い込んだ不思議な世界の事が徐々に見えてくるのだが、そのプロセスは実に見事だ。そして、物語全体の表現方法が実に独特でもある。 例えば、宮﨑は千尋の迷い込んだ異世界を特別なものとして扱おうとしないところが興味深い。まるで我々の住む普通の世界として描写しているのだ。異世界の住人たちも日々の仕事を、我々同様、無感動に淡々とこなしているだけだ。建物もそびえ立つようには描写されず、威厳のある音楽をつけたりもしない。この世界が実に魅力的であることに、監督の宮﨑はまるで無関心であるかのようだ。 しかし、キャラクターに関しては逆だ。宮﨑はキャラクターがまるで本物の俳優であるかのように長々と映し、繊細な演技を要求する。アニメーションの巨人であるピクサーの映画でも、ここまでのこだわりは観たことがない。映画が始まってから20分で、早くも私はこれがアニメーションによって作られたキャラクターであることを完全に忘れてしまった。そして、彼らのことが気になり始めた。まるで彼らが実在し、息をしている人物であるかのように。 そして、宮﨑は千尋のささやかな成功を大げさに扱う。彼女が川の神を助けるシーンは気分を高揚させるシーンとして、まるで剣闘士による戦いのようにエキサイティングなものとして描き、勇ましい音楽をつけた。もちろん、これは彼女の成長を観客に印象づけるためだろう。 興味深いのは表現方法だけではなく、ストーリーも同様だ。本当の意味で人間らしく生きておらず、存在意義があるとは言えなかった無気力な主人公の千尋は、その象徴として名前を奪われ、まさに「非人間的な」住人たちがいる異世界に放り込まれてしまう。異世界の住人たちとの関わりの中で人間らしさと名前を取り戻した千尋は、人間の世界へ戻る資格を得る…というのが基本的なストーリーの構造だ。文字通りの非人間的な世界で人間らしさを取り戻すというのが、面白さの核になる部分だろう。ただし、この物語はそれだけではなく、様々な見方が出来るように作られている。 例えば、千尋を通じて宮﨑は、決して恩着せがましくならずにではあるが、明らかに日本の若者に向かって語りかけている。この映画からは、日本の若者を心配する気持ちが感じられる。多くの人々が、若者は無作法で、年長者や先祖に対する敬意も薄れたと感じているようだ。同時に、若者は物質主義、消費主義の産物であるとも思われている。「千と千尋の神隠し」は、ここにも踏み込んだ。映画序盤の千尋は、自己中心的で甘やかされており、不機嫌な駄々っ子だ。しかし、精霊たちの世界で過ごした後の千尋は自立心が芽生え、自信がつき、他人に敬意を払うようになった。 千尋の変化において、触媒の働きをしたのが、黒い体に白い仮面を着けたカオナシだ。最初は客の一人に見えたカオナシだが、彼がストーリーを前に進める存在になっていく。湯屋の従業員たちの欲を捕食して肥大化していくカオナシの姿は実に興味深い。私には、千尋、カオナシ、そして坊の三人は、若者の姿を暗示するものとして、宮﨑が作ったキャラクターなのではないかと思えた。彼らは皆、世の中との繋がりを持っていない。孤独であり、正しく理解されず、あまり相手にしてもらえない存在でもある。しかし、皆で共に旅をしてからの彼らには、団結心や個性が芽生えてくるのだ。 宮﨑はエコロジーについても語っている。かつて美しい場所だった日本は、今やアジアにおけるニューヨークのような場所になってしまった。「ラスト・サムライ」が撮られた時、ニュージーランドで撮影しなければならなかったという事実が、日本の変貌について多くを語っていると思う。川の神が登場する一連の場面で、宮﨑は気取ること無く、実に率直に環境汚染の問題を語っていた。若者の問題、そして汚染の問題は、今の日本に向けて語られているのだろうと思うが、同時に、世界共通のテーマではないだろうか。このレビューを読んでいる誰もが、湖に沈んでいる自転車を目にしたことがあるだろうし、失礼な子供を目にしたこともあるはずだ。だからこそ、「千と千尋の神隠し」は普遍的で、日本人ではない我々にも共感できる物語になっているのだろうと思う。 「千と千尋」はアニメーションも見事だった。ディズニーの作品群ほど滑らかではないにしても、ディズニー作品より優れた何かを感じる。「千と千尋」の世界は未完成な部分もあるかもしれないが、実に細かいところまで作り込まれた世界だ。口当たりは良いが当たり障りのないディズニー作品の世界よりもはるかに魅力的な世界だった。
個人的には、アニメーションのバランスの取り方にも印象づけられた。動きの少ないシーンと、激しく動くシーンの緩急のつけ方は素晴らしかった。美しい絵と恐ろしい絵の対比も見事だ。千尋とハクが通り抜けた花の咲き乱れる庭、そして血まみれの口で唸り声をあげる龍、こうした対極のシーンが継ぎ目なく交互に訪れる。両極端なイメージがどちらも同じ映画に収まっているのが面白い。 キャラクターたちについても同様で、例えば、釜爺にはおっかない一面と謙虚で賢明な一面が矛盾なく同居しており、湯婆婆も意地悪な魔女としての姿だけではなく、優しい一面も垣間見せたりする。 久石譲の音楽も素晴らしいものだった。個人的には最も好きな映画音楽の一つだ。ピアノで演奏されるメインテーマはシンプルだが、強く感情に訴えてくる。素晴らしい映画音楽は、そのシーンの価値を引き出してくれるものだ。彼の音楽は完璧にそのシーンにマッチしつつも、多くのアメリカの作曲家と違い、決して出しゃばらず、圧倒しようとはしない。大半のシーンでは、音楽が流れていることすらほとんど気づかないレベルだ。夢うつつで聴く子守唄のように、彼の音楽は、あくまで柔らかく流れている。
「千と千尋の神隠し」は、明らかに現代の傑作だ。少なくとも、21世紀の映画の中でのトップ10入りは確実だと思う。この作品はリラックスして楽しめる旅のようなものだ。どうか2時間、この旅を楽しんでもらいたい。きっとあなたの心を満たしてくれるだろう。2時間後には、あなた自身の新たな旅を始める気持ちの準備が出来上がっているのを感じるはずだ。
管理人より:今回の翻訳はここまでです。これ以降は、2012年にアップした「千と千尋の神隠し」翻訳記事の再録となります。翻訳元は米アマゾンです。なお、アマゾンの評価は★5つが満点となります。
● 「価値ある旅」 男性 イリノイ州 評価:★★★★★
このアニメーション映画がなぜ非常に多くの人に畏敬の念を抱かせるのか? 答えは簡単、実に素晴らしい作品だからだ。
僕は何かちゃんとした理由があって「千と千尋の神隠し」を手に取ったわけじゃない。ただ、多くの人から愛されている映画だということは知っていたし、そうした人たちの中には僕の友達も含まれていた。そこで、どんな映画なのか自分の目で確認することにしたわけだ。観終えた今、言えることは、本当に力強く呆然とさせるような素晴らしい映画だったということだ。
(ストーリー解説部分省略)
僕がこの作品を鑑賞している時に感じた思いを言葉に表すのは本当に難しい。ただ、観る価値のある映画だということは言える。アニメーションで物語を表現すれば、これほど力強いアートになり得るんだという事を示す最高の例が、この「千と千尋の神隠し」なんだと思う。実写映画でこの作品と同じものを表現するのは無理だろう。
この作品で描かれているアートは、ただ「すごい想像力ですね」と言われるようなレベルをはるかに超えていると思う。それだけではなく、生み出された見事な創造物を、独創的かつ力強いストーリーに実にピッタリと組み込んでみせた。
僕は、この「千と千尋の神隠し」を心から愛している。鑑賞中に驚かされたものは数あれど、ガッカリさせられたものは一つもない。どうか、アニメーショだからという理由で、この作品を敬遠しないでもらいたい。
「千と千尋」は、人生という旅の中で何度も鑑賞でき、生涯を共にする価値のある映画なのだから。

● 「幼い少女にとって、そして親にとっても素晴らしい物語」 ニュージャージー 評価:★★★★★
「もののけ姫」のDVDを観た後、私はすぐに宮崎監督の作品、そしてアニメーションのスタイルのファンになったものです。この「千と千尋の神隠し」については映画館で鑑賞しました。事前に広告で見かけて、「良い映画」であるという事は聞いていたからです。でも、「千と千尋」は「良い映画」ではありませんでした。「素晴らしい映画」だったんです!
もちろんアメリカにも寓話は沢山ありますが、同じ物語が何度も何度も繰り返し上映されるのが常ですので、この映画は、そんな中に文学的な息吹を吹きこんでくれる新たな作品だと感じます。ヒーローが自らの置かれた状況を打破するために成長を求められ…、といった昔からあるパターンの物語に新たな要素を追加しようとする素晴らしい試みではないでしょうか。
千尋は、同じ年頃の女の子なら誰もが自分を重ね合わせることのできる主人公です。最初は行儀の悪い子に見えますが、本当に悪い子というわけではありません。彼女の一家は引越しをすることになり、仲良しの友達とも引き離されることになります。それさえなければ、彼女が両親に腹をたてることもありませんでした。彼女はただ、自分が快適な所に居たかっただけなのです。こうしたことも多くの女の子に実際に起こり得ることです。
その後、千尋は難しい状況に追い込まれます。クモと人間のハーフのようなボイラーの番人と対面した時は、果たして彼になんと声をかけるのが正解なのでしょう? 誰にとっても難しい問いですが、まして、千尋はまだ幼い女の子です。そして、その同じ晩には、彼女は自分が両親と同じ運命を辿らないよう、不快な魔女とも勇気を持って対峙しなければなりませんでした。
どんな女の子だって(男の子も)、この映画を見せられたら「成長しなきゃらないんだ」という事が分かるはずです。世界は時として厳しい所にもなるんだ、それでも生きていかなきゃならないし、その中で自分ができる精一杯のことをやらなきゃならないんだと。気弱で少しわがままだった千尋も、それら全てを学んで内なる強さを持つようになり、周りの人を思いやれるようになっていきます。 「千と千尋の神隠し」は観る人に力強いメッセージを届け、ずっと心に残り続ける作品なんだと思います。私には4歳の娘がいるんですが、彼女がもう少し大きくなったら「千と千尋」のDVDを一緒に観ようと思っていて、その日が来るのを心待ちにしています。さらに、その下にも娘がいますので、彼女と観るのも楽しみですね。「千と千尋」は、きっと彼女たちの一番のお気に入りになるはずです。何度も何度も繰り返し観たがることでしょう。
● 「単なる“アニメーションの傑作”を超えた作品」 イギリス ケンブリッジ 評価:★★★★★
稀に、ほんの稀にではあるが、ある一本の映画が単独で一つの文化と呼べる存在なってしまうことがある。他を寄せ付けない圧倒的な高みにそびえ立つ作品。「千と千尋の神隠し」とはそんな映画だ。
この映画は日本で興行記録を打ち立てた。西半球における評価も悪くはない。少なくとも、過去最高のアニメーション映画の一つとして、各所で言及されるような存在になったという事は言えるだろう。ただ、宮崎監督のこの大作は、単なる「素晴らしいアニメーション映画」という言葉で括られるべきものではない。実写作品を含めた上で「素晴らしい映画」と評されるべき作品なのだ。
アニメーション部分の素晴らしさに関しては、すでに繰り返し賞賛されている。確かに技術的には卓越しており、アニメーションというジャンルだからこそ許される空想的性質を見事に活用し尽くしてもいる。その点はもちろん素晴らしい。しかしながら、「千と千尋の神隠し」はさらに奥に踏み込んだ作品なのだ。
この作品は、人間性を損なう強欲や執着、強迫観念といったテーマを表現しつつ、同時に伝統的価値観の重要性も示してくれる。その心地良いまでの奥深さは、非常に良質な実写映画と何ら変わらないものと言えるだろう。この作品が表現するのは奇妙そのものといった世界だが、見る者をあっさりとその世界に馴染ませてしまうだけの説得力も備えている。キャラクターと自分を重ね合わせるのが容易なのだ。
次にストーリーを簡単に説明させてもらう。ただ、中途半端に概要を聞いただけでは、この作品の持つ良さを十分に理解することはできない事をあらかじめ承知しておいて頂きたい。それに、エキゾチックかつ実に奇妙な精霊たちの世界に対する純粋な驚きを損なう恐れもある。本来は、こんなふうに言うだけで十分なのかもしれない。「この作品はあなたを口もきけないほど驚かせる。そして、細部に注意を払って観ることで、より感銘を受ける映画なのだ。」と。
基本的に、これは千尋という10歳の少女の物語だ。彼女は両親とともに不思議な魔法と精霊の世界に迷い込んでしまう。両親は残酷にも、魔法によって豚の姿に変えられてしまった。取り残された彼女は、この世界の力関係や陰謀に巻き込まれながら、自力で生きていかなければならなくなってしまう。親切だが、時に冷淡な精霊のハク、そして強欲な魔女の湯婆婆は千尋を手助けするが、邪魔をする事もある。千尋は苦労しながら精霊の世界から脱出しなければならず、また、両親を人間の姿に戻さなければならない。
頭が混乱しただろうか? この映画を鑑賞する上で大事なことは、精霊たちの住むファンタジーの世界に浸りきって、2時間楽しんでやろうと思うことだ。そうすれば、観終えた後にはこの映画から何かを学べた事、充実した時間を過ごせた事を実感できるだろう。そして、間違いなく言えるのは、もう一度この映画を観たくなるということだ。そして、そうした気持ちになることこそが、良い映画である証なのだと思う。
本当に素晴らしい映画(例えば「荒鷲の要塞」、「スティング」、「グリーン・デスティニー」など)を観た後は数々の疑問を抱えつつ映画館を後にしてきたものだ。そして、その疑問の答えを見つけるべく、繰り返し何度も観ることになる。私にとって「千と千尋」は、また観たいという気持ちが今後も途切れることがないであろう不朽の名作だ。
純粋主義者たちは英語吹き替え版より日本語オリジナル版をありがたがると思う。だが、英語吹き替え版の親しみやすさも捨てがたいものがある。そして、アニメーション映画というものは、通常、実写映画よりセリフは少ないものだ。職業人(私はアニメーターだ)としては、インスピレーションやアイデアを得るために繰り返し鑑賞したという側面もある。ただ、ここは普通の映画好きとして言わせて頂く。
「千と千尋の神隠し」は真に優れた作品で、必ず観なければならない映画なのだ。

● 「もののけ姫より曖昧で理解しづらい」 男性 カリフォルニア州 評価:★★★★☆
個人的意見ではあるが、この映画は、必ずしも良い作品と呼べるものではないと思う。私は「もののけ姫」を観てすっかり感動してしまったので、「千と千尋」もかなり期待した上で鑑賞した。確かに心を動かされたし、考えさせられる部分もあった。「もののけ姫」と同様に、イマジネーションが解放されたように感じる作品でもあった。ただ、「もののけ姫」に比べると、物語に一貫性が欠けているように感じられたのも事実だ。
私が観たことのある宮崎作品は「もののけ姫」と「千と千尋」だけだ。だから、実は「千と千尋」の方が宮崎監督本来のスタイルで、いつも「もののけ姫」のような明快な作品を作ってきたわけではないのかもしれない。ただ、「もののけ姫」を観てしまった以上、この作品を基準にしてしまうのも、やむを得ないと思う。「もののけ姫」における物語の進め方や結末は完璧で、観終えた後の満足感も極めて高いものだった。
「千と千尋」の方はどうかと言えば、物語がスムーズに進行していくのは前半の45分だけだ。千尋の両親が豚になり、ハクや湯婆婆、カオナシに出会うところまでは問題ない。しかし、その後はストーリーが曲がりくねって進行するようになってしまう。そのせいか、キャラクターたちが困難な状況に陥っているはずなのに、そうは見えなかったり、ストーリーにおいて何が重要か分かりづらくなったりしてしまうのだ。
また、湯婆婆はもう少し意地悪なキャラクターであったほうがストーリーは分かりやすくなると思うのだが、これは翻訳のせいなのだろうか? 私にはなんとも言えない部分だが…。
他にも、映画のテーマとどのような関わりがあるのか理解しづらい要素はいくつかある。カオナシの存在は、その一例だ。このキャラクターは明らかに、映画のテーマと本質的に関わりのある何かを表現するために登場するキャラクターなのだろうということは分かる。面白いキャラクターだとも思う。ただ、このキャラクターはストーリーにどんな意味を与えているのだろうか。強いて言えば、「強欲」に関するテーマをさらに強調するためとも受け取れる。しかし、それは千尋の両親が豚になったことで表現できているので、重複になるのではないだろうか。
ただ、私はまだ一度しかこの映画を観ていない。恐らく、この映画を理解するには、まだ時間が必要ということなのだろう。現段階での感想を言わせてもらえれば、やはり「もののけ姫」ほどの力強い芯のようなものが感じられないというのが正直なところだ。

● 「優れた芸術として受け入れられるべきアニメーション」 男性 カナダ 評価:★★★★★
なんと輝かしい、そして愛情のこもった仕事なのだろう。この作品を見終えた後、私は嬉しさが体からこみ上げてきたものだ。この映画を他の幼稚なアニメーションと一括りにするのは正当な扱いではないと思う。他の作品と比較するのであれば、別の芸術分野の最高の作品と比較するべきだ。
この作品に出てくるのは欠点を抱えた主人公だ。悪人は登場しないので、外部の何者かと戦うというよりは、むしろ内なる戦いがメインになる。そして、舞台となるのは形而上学的とも言うべき精神世界だ。そんな作品でありながら、10歳の少女から90年のキャリアを持つ映画ファンまで、誰もが大いに楽しめるものになっている。
舞台はまるで夢の中のような世界で、物語は叙情的に構成されており、明確な悪人がいないにもかかわらず、緊張感とサスペンスがある。これら全ての事をアニメーション映画で達成しているのだ。「千と千尋の神隠し」は真の天才による仕事と呼ぶほかはないだろう。
この映画で表現されているのは、同情と思いやり、愛と奪還、隠れた強さと勇気の発見だ。だが、安っぽい感傷と涙を多用して興ざめさせるようなものではない。全編を通して、ユーモアは抑えたものになっていて、派手さを避けた品位が保たれており、観客の知性を最大限に尊重する作り手の姿勢がうかがえる。監督の手にキスしたくなるほどだ。
この映画を、子供向けのおとぎ話と同列に扱うのは望ましいことではない。西洋のアニメーションとは異なり、この映画に登場する世界は、精神の深いところに根ざした空想世界なのだ。そして、その深さゆえに、物語を支える骨格として実にうまく機能している。 さらに、この映画には魔法の粉を振りまきながら空を飛ぶ妖精は出てこない。煮え立った液体の入った大釜も出てこないし、意地悪な継母も、善良さの象徴である魅力的な王子様も出てこない。そんなわかりやすいものはどこにも登場しないのだ。「千と千尋」で小さなヒロインが迷い込んだ精霊の世界では、人間は侵入者であり、混乱と騒動を引き起こす存在とみなされている。そして、それがまるで呼吸と同じくらい自然な事として描かれているのだ。 この映画を特別な存在にしているものが何なのか、うまく表現するのは簡単なことではない。なぜか?その理由は非常に些細なものから非常に大きなものまで色々とある。
まず、非常に些細な理由を挙げさせてもらうと、この映画では細かいところまで、あまりに見事に描きこまれているからだ。例えば、少女が靴を履くといったような仕草ですら非常に丁寧に表現されていて、製作者たちが子供たちに敬意を払っていることに感心させられてしまう。しかし、そのおかげで、我々はいちいち映画を一時停止して見入ってしまうので、鑑賞が途切れ途切れになってしまうのだ。
次に、非常に大きな理由を挙げてみる。
基本的に「千と千尋」のストーリーは、主人公の意識の目覚めを観客と共に共有する形で展開していく。我らのヒロインはストーリーが展開していくにつれ、最初は自己中心的だったのが、寛大かつ勇気ある愛すべき魂の持ち主へと成長してくのだ。しかし、ここで注意しておかなければならないことがある。この作品は並のアニメーションではないということだ。この作品は知性を備えた観客によって鑑賞されることを前提としている。したがって、ストーリーの進行を説明してくれるような分かりやすいセリフは存在しない。ストーリーに関してだけではなく、キャラクターや、舞台となる世界や、テーマ等々に関しても同じ事が当てはまる。
例を挙げてみよう。この作品には「浄化」というテーマが繰り返し現れる。ストーリーの中で、様々なキャラクターが何かを吐き出すシーンがあるのだが、これが何らかの覚醒を促し、浄化につながっていくようだ。吐くというのは、ある意味、嫌悪感を催すシーンだ。しかし、東洋においては必ずしもそうではないのかもしれない。現に、千尋は川の精にもらった薬を使って何かを吐き出させることで、幾人かの友人を助けたではないか。しかし、説明が無いために嫌悪しか感じなかったのであれば、あのシーンの意味に気づくことはない。
つまり「千と千尋」は、特に西洋の観客にとってはかなり頭を使って観なければ正しい理解が難しい映画なのだ。西洋のアニメーションとは異なり、何も考えないで鑑賞する事は不可能だ。並外れて美しく描かれている作品ではあるが、それと並行して恐怖や不快なものも描かれている。最大限に頭を働かせることが求められるのだ。そのような努力を払うことに気が進まない人は、この作品から何も得ることはできない。そうした人には「バンビ」をお勧めしておく。
ただ、「千と千尋」は今述べたような映画でありながら、同時に子供が親しみやすいものでもある。むしろ、子供たちの方が彼らの親よりも有利な立場にあるのかもしれない。子供たちは西洋のスタイルや慣習にとらわれ過ぎていない分、偏見の無い目で鑑賞できるだろう。もちろん、子供たちにとっても、この作品の象徴的意味などが簡単に理解できるわけではないと思う。だが、製作者たちはあまりに見事に美しく表現しているので、正確に理解はできなかったとしても、感じ取ることはできるようになっている。そうして得たものは彼らにとって、後々の財産になっていくはずだ。
きっと「千と千尋」は、偏見を持たずに鑑賞する者に対してご褒美をくれる映画でもあるのだろう。全てを理解し尽くすには、アニメーションに対する偏見や予備知識を捨て去らなければならない。悲しいことだが、西洋では習慣的に「アニメーションは子供向けのものであり、高度に芸術的な表現をするメディアではない」と考え、壁を作ってきた。そうした行為に対して宮崎監督の出した返事が、溢れんばかりの情熱を込めて作り上げられた、この「千と千尋の神隠し」という作品なのだ。
これまで実写映画に対して惜しみなく与えられてきたような高い評価や称賛を、この作品も受けて然るべきだと思う。もう少し率直に言わせてもらえば、ハリウッドが延々と大量生産し続けてきたゴミのような作品より上位にあるものだと思うし、次元の違う世界に存在している作品だとさえ思っている。
「千と千尋の神隠し」は本当に素晴らしい。この作品はアカデミー長編アニメ賞を受賞したが、実写を含めた全ての映画に対して与えられる作品賞こそ、真にふさわしい賞なのだ。
(翻訳終わり)
管理人より:翻訳リクエストをお送り下さった皆様、どうもありがとうございます。他にもいくつかのリクエストを頂いていますので、すぐにお応えできるかどうか分かりませんが、参考にさせて頂きますね。なお、次回の更新は 再来週の金曜日(2月9日)です。よかったら、また見に来て下さいね。
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